京都から東京へと通うようになって、今回で7回目。
初めてこの大都会に降り立ったときの高揚感は、今でも鮮明に覚えている。
見上げるほどにそびえ立つ高層ビルの群れ、どこから湧き出てくるのか不思議なほどの人の波、そして、毎日のように早く生まれては消費されていく新しい文化の数々。

写真 : Luminar Neoで加工した東京の街モノクロ写真
当時の僕にとって東京は、ただただ「刺激」という言葉で埋め尽くされた、眩しすぎるほどの街だった。
見るもの、触れるものすべてが新鮮で、歩いているだけで、自分の感性がアップデートされていくような錯覚さえあった。
しかし、訪問の回数を重ね、東京という街の「日常」に少しずつ自分の身体が馴染んでくるにつれて、最初に感じていた特別な輝きの裏側にあるもう一つの側面が、ゆっくりと顔を見せ始めたのである。
それは、人が密集するこの大都会がもつ「忙しなさ」であり、そこに生きる人々が知らずにうちに身にまとってしまっている、目に見えない緊張感(ストレス)だった。
過密が生み出す都市の日常
今回の滞在では、これまで以上に、その「忙しなさ」を象徴するような場面に何度も直面した。
中でも象徴的だったのは、やはり東京の血管とも言える鉄道の車内だ。
朝夕のラッシュ時、プラットホームへと滑り込んできた電車のドアが開いた瞬間、そこには京都をはじめとする、地方都市とは明らかに違う「すし詰め」の空間が広がっていた。
それは、京都では体感できないほどの密集状態だった。

写真 : ゆったりした京都の車内をイメージ
乗客たちの身体は限界まで押し潰され、パーソナルスペースなどという概念は霧のように消え去る。そんな張り詰めた空気の中で、突如として車内に響き渡る怒号。
原因は、ほんの些細なことかもしれない。
例えば、スマホを持つ手のちょっとした角度、あるいは、荷物の大きさやその向け方。
極限の過密状態においては、そのわずかな違和感が、人々の心の導火線に火をつけてしまう。
駅のホームに降り立てば、ほんの数分の列車遅延によって、またたく間に人が溢れ、駅全体が重苦しい熱気に包まれる。
一歩街へ出れば、何かを警告するためではなく、せっかちなドライバーが、自らの焦燥感やストレスを吐き出すかのように、クラクションを鳴り響かせる。
ホテルで一息つくなり、絶え間なく救急車やパトカーのサイレンが聞こえてくる。

写真 : ホテルから見た夜の東京の街
しかし、誤解しないでほしいのは、僕はこれらを「東京の欠点」だと言いたいわけではない。
むしろ、これほどの怒号や混雑、そして騒音すらも、膨大な数の人間が一つの場所に集まり、日本の経済や文化を24時間体制で動かし続けているという「エネルギーの証明」なのではないだろうか。
本当は、感謝をすべきなのかもしれない。
東京は今、この瞬間も、日本の最前線を圧倒的なスピードで走り続けている。
その超高速の歯車が噛み合う摩擦熱として、あの忙しなさや緊張感は生まれていると考えると、致し方ないことだろう。
東京が最先端であり続けるためには、あのエネルギー(影の側面も含めて)が必要不可欠であると、7回目の東京訪問にして、ようやくそこに気がついた。
今回は、そのあまりにも強烈なエネルギーの渦の中に身を置いたからこそ、僕は滞在の後半で、ある一つの重要な事実に気づくことができたのだ。
それは、「東京における静けさには特別な価値がある」ということだ。
中目黒を訪問した目的
今回、中目黒に訪問した目的は、現在、アートブランド雨の雫でコラボ企画を進めている、パートナーである葵美月さんとの打ち合わせのため。
モデルでもあり、音楽活動もされていて、つい最近、アーティスト『MU』として楽曲をリリースされた。
一方で、ディレクターをされていたり、キャンドルを製造されていたり。
多彩な経歴を持つ葵美月さんと、東京で展開する雨の雫の展示会について相談したいことがあったので、拠点となる中目黒を訪問することにした。
その日は偶然にも、雨が降る中目黒の街を眺めながら、中目黒でコラボをする葵美月さんと話を詰め、雨に関連するブランド『雨の雫』の話ができたことで、僕の頭の中に、新しいアイデアが浮かんできた。
雨の中目黒。ノイズの中に現れた緩やかな時間

打ち合わせが終わり、東京の喧騒の日常に圧倒されながら、雨の日の中目黒の街を歩くことにした。
僕にしてみれば、雨と中目黒の組み合わせは最高なものだ。なぜかというと、「中目黒でアートブランド雨の雫を展開する」という目的があるからだ。
その雨が、中目黒という街の魅力を、これ以上ないほど引き立ててくれた。中目黒の駅前は、決して「無音の過疎地」ではない。

改札口からはひっきりなしに人が出入りし、駅周辺のカフェテラスからは、楽しげな話し声やスプーンがカップに当たる音が聞こえてくる。
山手通りには車が絶え間なく行き交い、タイヤが濡れたアスファルトを弾く。
都会の真ん中なのだから、そこに生活音が充満しているのは当然のことだ。なのに、不思議なほどに心が落ち着いていくのを、僕は感じていた。
自分の呼吸が、いつもより深くなる。傘を差しながら、目黒川の沿道を歩いてみる。
しとしとと降る雨は、街全体の輪郭を優しくぼかすように包み込んでいた。

濡れた路面には、橋の手すりやアパレルショップの洗練された外観が、まるで水彩画の絵の具のように滲んで映っている。
目黒川の静かな水面を無数の雨粒が揺らし、小さな波紋を幾重にも広げている。
すれ違う人々はみな、心なしか歩幅が小さく、急ぐことなく、傘を差して歩いている。

まるで、傘に落ちる雨の雫の音を聴いているよに思える。
東京の中心部にいるはずなのに、ここだけ時間の流れが、一段とゆっくりに進んでいる感覚。
昨日の満員電車やメインストリートで感じたあの刺すような忙しなさが、雨の音によって、遠くでほんのりと響いているように思えた。
「ただの静けさ」と「東京の静けさ」の違い
なぜ僕は、中目黒のこの空気に、これほどまでに心を救われたのだろう。歩きながら、その理由を深く考えてみた。
そして導き出た答えは、「中目黒が完全に静かな場所じゃない」からだった。
もし、単に音のない環境や、人のいない静寂だけを求めるのであれば、東京以外の場所に行けばいくらでも見つかるはずだ。
僕の知っている京都の山奥や、地方の自然豊かな田舎町へ行けば、ここよりも遥かに静かで、人工的なノイズがまったくない場所は無数に存在する。
しかし、そうした地方の静けさと中目黒の静けさとでは、胸に響く「意味」が決定的に違う。
僕が中目黒に強く惹かれた理由。それは、東京という大都市の中で、“溢れかえるような賑やかさの芯にある奇跡のような静けさ”だからだ。

それは現在、僕が撮り続けているモノクロ写真の「光と影」の関係性に非常によく似ている。
真っ白な光だけが一面に照射された世界には、輪郭がなく立体感も生まれない。ただ眩しいだけで、やがて人間の目は疲弊してしまう。
逆に、真っ暗な影だけが支配する世界では何も見えず、世界そのものが成立しなくなってしまう。
眩しいほどの「光」が存在し、そのすぐ隣に深い「影」が寄り添うように配置されているからこそ、僕たちはそこに美しい立体感や、奥行きという名の情緒を感じ取ることができるのである。
東京という街における「忙しさ」や「喧騒」が強烈な光だとしたら、中目黒の持つあの落ち着いた空気は、その光によって生み出された極上の「影」ではないだろうか。
あの、すし詰めの満員電車や、クラクションの響く大通りという「光(=都市のエネルギー)」を体験したからこそ、中目黒が持つ静けさの価値が、まるで砂漠で見つけたオアシスのように、何倍にも尊く美しく感じられたのだ。
孤立しない静寂、心に余白をくれる街
打ち合わせが終わり、せっかく雨の中の中目黒に出会えたので、少し写真を撮り歩くことにした。
そこは決してSNSで見かけるような、ネオン煌めく華やかな景色ばかりではない。
人が過密に集まる巨大都市だからこそ抱えざるを得ない、リアルな課題や人々の心の“きしみ”のようなものも、そこにはあった。
だが、その影の部分を知ったことは、僕にとって決してマイナスの体験ではない。
むしろ、その緊迫感やエネルギーを肌で知ったからこそ、中目黒という街の本当の価値と、東京という都市の構造の深さを、これまで以上に理解することができたと思っている。
例えば、中目黒を撮り歩いて少し疲れた時には、スパイスの効いたカレーは、とても美味だ。
僕が実際にランチに訪れたのは、中目黒駅から徒歩7分のところにある、『香食楽(かくら)』というカレー屋さん。
店内はおしゃれで、珪藻土(けいそうど)※に、わらスサを混ぜて手作りされた壁が、人の疲れを浄化させてくれる空気で包まれている。
※ 珪藻土(けいそうど)とは、植物プランクトンの一種である「珪藻(けいそう)」の殻の化石が、海や湖の底に長年堆積してできた泥土(堆積岩)です。

カレーも、スパイスは効いているもののピリピリしすぎず、薬膳カレーというだけあって、口に入れるとほんのりと効いたスパイスが、体の芯からポカポカして、血液のめぐりが良くなった感覚になる。

印象的だつたのが、店主の笑顔だ。話をするだけで、心が温まる。
次回に中目黒に訪れる時も、「ここでランチをしよう」と決めた。
決して中目黒の静けさは、社会から隔絶された「孤立した静けさ」ではない。
一歩外に出ればすぐにでも激流のような日常へと戻れる、その圧倒的な利便性と賑やかさと共存しながら、あえてそこに佇んでいる『静けさ』に価値がある。
とくに、雨の日に訪れると、晴れの日とは違った、独特な静けさを感じることができる。

激しい都市のビートの中で、人々の心に、「ほんの少しだけの余白」をつくり、呼吸を整えさせてくれる場所。それが、中目黒の街。
今回、7回目の東京訪問で、ようやく掴むことのできた中目黒には、唯一無二の魅力がある。
最後に僕は、雨に濡れる目黒川をもう一度見つめながら、傘を少し深く差し、再び東京の心地よい光と影の中へと歩き始めた。
静けさを感じるモノクロ写真ギャラリー
忙しない日常に、
ほんの少しの静かな時間を。
光と影のあいだに、
言葉にならない何かが残る。
今、心に残った余韻の続きを——
Artgeneに置いています。
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