ようこそ、静かな時間への入り口へ。
雨の日にふと感じる、“静かな時間”。
この四話目は、僕が「雨の雫」という世界をつくる中で、なぜ“キャンドル”という灯りを選んだのか。
その理由を静かに届けようと思う。
前回の三話目では、「心の余白」について綴ったが、その余白があるからこそ灯したくなる小さな光がある。
それが『キャンドル』。
なぜ雨の日にキャンドルを灯したくなるのか?
雨が降ると、当然のように部屋の中で過ごす時間が増えてくる。
外の音がかき消され、
街が少しだけ静かになるとき、
人の気持ちは“内側”へと向かう。
そんな時、キャンドルを灯すだけで、心の中に『ぽっ』と優しい光が生まれて、外へと気持ちを向けさせていくれる。
雨音と揺らめく光が部屋を優しく包み込む。それが、静けさを味わうための贅沢な時間になる。
光を「灯す」という行動の意味
スイッチひとつで部屋全体が明るくなる現代。だからこそ、“灯す”という行動に意味があると僕は思う。
火をつけるという単純な行動。何も考えずに、ただ炎のゆらぎを見つめるだけの時間。
キャンドルの炎には、「今、ここにいる」という感覚を思い出させてくれる力がある。
それは、雨の日の撮影と似ていて、「光」と「静けさ」の微細な変化に、心を澄ませる行動。
何かを待っている、その静かな時間。
雨とキャンドルにはどことなく親近感がある。
雨の写真とキャンドルが重なる時間
雨の日の写真を撮るとき、僕は空気の湿度、光の反射、静けさの深まりを感じ取っている。
一方、キャンドルの揺らぎもまた、動きの少ない世界の中で、時間の“余白”を描いてくれる存在になる。
だからこそ僕は、キャンドルと雨の日の写真を組み合わせたいと思えたのかもしれない。
東京で出会ったあのキャンドルの色や形、まだ写真しか見ていないのに、香りまで感じるほど印象的だった。
どちらも「静かな時間を味わうためのアート」。
単なる美しい組み合わせではなく、雨の中で生まれる“心の余白”を、誰かと静かに分かち合うための形。
写真と灯り、視覚と感覚、そして、呼吸をするたびに感じる優しい香り。
写真とキャンドルの2つのアートが響き合うことで、ひとつの静かな空間がそこに宿る。
結びに、雨の日に灯す理由
きっとこのキャンドルの灯りは、僕が探し求めていた、“雨が残した余韻””なのかもしれない。
外が暗くなるからではなく、心がそっと静まるからこそ、光を欲するのだ。
そして、それはただ照らすためのものではなく、心を整え、時間を味わうための小さな贅沢。
その灯りが教えてくれたのは、「今は贅沢な時間を過ごしていい」理由だ。
火を灯さなくてもいい。キャンドルから流れてくる、ほのかな香りを楽しむ時間さえ贅沢に感じる。
そう思える静かな夜があるから、僕は雨とキャンドルを静かな時間に選んだのである。
そして、それが「雨の雫」という世界を形づくる、小さな光のはじまりだった。
あなたにも、静かで贅沢な時間を必要とするときが、きっと訪れる。
それは『癒し』では感じることのできない、雨の贅沢さを、キャンドルの灯りがそっと教えてくれるだろう。
そんなキャンドルに出会ったの話を、雨の雫サイトの記事で綴っている。
雨を待つ期待感と静けさの中にある懐かしさ
〜The Quiet Nostalgia Within the Wait for Rain〜
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