雨が洗い流す風景の中で | 03 : 水たまりの向こう側にある記憶

〜雨が見せた、もうひとつの世界〜

雨の日の鴨川沿いを歩いていたとき、ふと足元の水たまりに視線を落とした。

そこには、逆さまになった京都の風景が静かに映っていた。

いつも見上げて見る木々たちが、自分の足元にある光景。

そこには現実味がなく、どこか懐かしく、おとぎ話の絵の本のようだった。

その一瞬だけ、葉から落ちた雨の雫が止まって、時間の感覚がなくなる。

「この風景、たしかにどこかで出会ったことがある」

記憶が雨音に連れられてくる

水たまりの奥に映る逆さの木々を見ていると、まるで逆回しのように過去の記憶へと進んでいくように見えた。

たしかあれは、何年か前の雨の日。

鴨川から少し外れた狭い公園を誰かと一緒に歩いていた。

その人が誰だったのか、どんな会話を交わしたのか。

輪郭はぼやけているのに、あのとき感じた“心の温度”だけは、今でも確かに感じている。

「もし、あの時の自分と今の自分が出会ったら、きっとすれ違ってしまうだろう。だけど、すれ違いざまに少しだけ目を合わせて、お互い何かを伝え合う気がする。」

そんな空想を思い描いていると、水たまりに映っていた木々のシーンが街へと転換していた。

それはまるで、僕が好きな映画『Big Fish』のワンシーンのような非現実的な体験だった。

出町柳で雨の日の撮り歩き

静かな記憶は、雨のあとに訪れる

水たまりに映っていた風景は再び未来へと進みはじめて、足音とともに波紋の中に溶けていった。

現実と幻想の境界は曖昧なままだけど、それでいいと思えた。

なぜなら、また一つの雨の雫によって、静かで贅沢な時間を過ごすことができたからだ。

傘の先端から落ちる雨の雫

静かな余韻は、決して「何も起きなかった日」のことではない。

心の中でそっと何かが動いたことに、後になって気づくような、“現実と幻想を静かに行き来する”ことだと思う。

あなたにも、思い出の中で静かに光っている記憶があるはずだ。

もしそれを思い出せたなら、それこそが、あなたの中に降った雨の記憶なのかもしれない。

雨の記憶にそっと触れながら、静かな余韻の旅は終わりを迎える。

『静かな余韻を楽しむ京の町 — When Rain Washes the City Clean —』

シネマティック写真家リョウ
◆Instagram | @ryo_creativephoto / ◆ブランドサイト | 雨の雫

静けさを感じる、もうひとつの世界へ。

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