〜雨が見せた、もうひとつの世界〜
雨の日の鴨川沿いを歩いていたとき、ふと足元の水たまりに視線を落とした。
そこには、逆さまになった京都の風景が静かに映っていた。
いつも見上げて見る木々たちが、自分の足元にある光景。
そこには現実味がなく、どこか懐かしく、おとぎ話の絵の本のようだった。
その一瞬だけ、葉から落ちた雨の雫が止まって、時間の感覚がなくなる。
「この風景、たしかにどこかで出会ったことがある」
記憶が雨音に連れられてくる
水たまりの奥に映る逆さの木々を見ていると、まるで逆回しのように過去の記憶へと進んでいくように見えた。
たしかあれは、何年か前の雨の日。
鴨川から少し外れた狭い公園を誰かと一緒に歩いていた。
その人が誰だったのか、どんな会話を交わしたのか。
輪郭はぼやけているのに、あのとき感じた“心の温度”だけは、今でも確かに感じている。
「もし、あの時の自分と今の自分が出会ったら、きっとすれ違ってしまうだろう。だけど、すれ違いざまに少しだけ目を合わせて、お互い何かを伝え合う気がする。」
そんな空想を思い描いていると、水たまりに映っていた木々のシーンが街へと転換していた。
それはまるで、僕が好きな映画『Big Fish』のワンシーンのような非現実的な体験だった。
静かな記憶は、雨のあとに訪れる
水たまりに映っていた風景は再び未来へと進みはじめて、足音とともに波紋の中に溶けていった。
現実と幻想の境界は曖昧なままだけど、それでいいと思えた。
なぜなら、また一つの雨の雫によって、静かで贅沢な時間を過ごすことができたからだ。
静かな余韻は、決して「何も起きなかった日」のことではない。
心の中でそっと何かが動いたことに、後になって気づくような、“現実と幻想を静かに行き来する”ことだと思う。
あなたにも、思い出の中で静かに光っている記憶があるはずだ。
もしそれを思い出せたなら、それこそが、あなたの中に降った雨の記憶なのかもしれない。
雨の記憶にそっと触れながら、静かな余韻の旅は終わりを迎える。
『静かな余韻を楽しむ京の町 — When Rain Washes the City Clean —』
シネマティック写真家リョウ
◆Instagram | @ryo_creativephoto / ◆ブランドサイト | 雨の雫
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