晴れた昼下がりに、お気に入りの一眼レフを持って街を歩いた。
雲ひとつない空の下で、いつものように「気持ちのいい青」の爽やかな時間を過ごすはずだった。
だけど、なぜかその日は違って見えた。
ふと立ち止まって空を見上げたとき、その青が一瞬だけ色を失ったように見えた。
まるでモノクロ写真のように、静けさをまとった空。
現実の空が変化したわけではなく、確かにそこには青はある。
それでも、心の中ではハッキリとモノクロの世界だった。

「なぜ、モノクロに見えたんだろう?」
理由を探すように、目的を決めず歩き続けることにした。
気がつくと、ふた駅分の距離を歩いていた。
その間も、静かな時間を記憶に残すようにシャッターを切る。
ゆっくり歩き、
呼吸をし、
街の輪郭をなぞるようにゆったりした時間を感じる。
そんな中、強く感じたのは『静けさ』だった。
思考が騒がしくない。
何かを決断しなければならない焦りもない。
写真をどう撮るか、どう表現するかという意識すら薄れていた。
ただ、
「今、ここにいる瞬間」
「感じたままを撮る」
という感覚だけを大切にして。
そのとき、ひとつの答えが浮かんできた。
空がモノクロに見えたのは、世界から色が消えたのではなく、自分の内側からノイズが消えていたからだ。
心に余白が生まれると、色は必要以上に主張しなくなる。
光も影も、『ただそこに在るもの』として存在する。
モノクロ写真に惹かれた理由を、このとき僕は、初めて素直に言葉で表現できたのかもしれない。
モノクロとは、削ぎ落とす表現ではない。
むしろ、余白を残すための表現である。
色を手放すことで、見るものが静かに入り込める場所が生まれる。
この日の散歩は、写真家としての方向性を再確認する時間にもなった。
派手さなんて必要ない。
無理に「わかってもらおう」としなくてもいい。
静かな時間が流れている写真を、淡々と記していきたい。
青い空がモノクロに見えたあの日は、僕の心の中に確かな余白が生まれた証だった。
そしてその“余白”こそが、今の自分にとって最も大切なものである。
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