モノクロ写真を撮り歩いていると、ふと思うことがある。
「これは、ただの記録写真ではない」と。
人はきっと、知らないうちに自分に合う居場所を探している。
僕にとって、色のない世界は一番安心できる場所なのかもしれない。
『静けさと賑わいの境界線』
光と影だけが強く印象に残り、色の記憶がほとんど残っていない。
まるで景色の中から音だけがそっと抜け出たような感覚。
モノクロに変換すると、色が消える代わりに輪郭が浮かび上がる。
アーケードの柱の間隔、地面に落ちる光の角度。
聴き慣れているはずのシャッター音も、特別に感じる。
普段は背景として流れているモノなのに、静かに主役へと変わっていく。
おそらく僕が感じていた静けさは、「静かな場所」だったからではなく、
情報が整理され、視線が迷わなくなった瞬間に生まれていたからだと思う。
色がある世界は豊かで、感情を強く動かす。
けれど、色を手放したとき、景色は少しだけ呼吸を整える。
その余白の中で、ようやく見えてくるものがある。
あの朝の商店街は、モノクロで見ることで初めて、本来の静けさを語り始める場所だったのかもしれない。
晴れた日の午前、僕は京都の商店街を歩いていた。
この日は、静けさを感じるモノクロ写真を探すことだけを目的に、一眼レフを持って外に出た。
とくに目的地を決めず、なんとなく商店街へと向かった。
アーケードの隙間から差し込む朝の光が、まだ目覚めきっていない通りを静かに照らしている。
地面には細く伸びた光と影が重なり、歩くたびに表情を変えていった。
観光地として知られる京都でも、この時間だけは少し違う。
人の気配はあるのに、まだ街は動き出していない。
シャッターの閉まった店先。
準備前の看板。
誰もいない通路に照らされた光。

完成された景色というより、これから始まる直前の空気。
その未完の時間の中に、言葉にはできない『静けさ』を感じた。
カメラを向けながら歩いていると、時間は思っているより早く進んでいく。
気づけば店のシャッターがひとつ、またひとつと開き始め、通りに音が戻ってくる。

さっきまで確かにあった静けさが、ゆっくりと形を変えていく。
商店街を抜けてメイン通りに出ると、景色は一変した。
観光客で埋まった歩道、交差する声、絶えず動き続ける人の流れ。

ほんの数分前まで歩いていた場所が、まるで別の世界のように感じられた。
『この場所をモノクロにすると、
どう見えるのだろう』
あの静けさは、
ただ人が少なかったから生まれていたわけではない気がした。
僕は、目の前の景色を見ながら、こう思った。
「この場所をモノクロにすると、どんなふうに見えるのだろう」

カラーのままでも、光は十分に美しい。
けれど視線はどうしても、看板の色や商品の装飾、細かな情報へと引き寄せられてしまう。
街は本来、多くの色でできている。
それは賑わいであり、生活の気配でもある。
だからこそ、静けさを感じたあの瞬間が不思議だった。
『なぜ静けさを感じたのか』
光と影だけが強く印象に残り、色の記憶がほとんど残っていない。
まるで景色の中から音だけがそっと抜け出たような感覚。
モノクロに変換すると、色が消える代わりに輪郭が浮かび上がる。

アーケードの柱の間隔、地面に落ちる光の角度。
聴き慣れているはずのシャッター音も、特別に感じる。
普段は背景として流れているモノなのに、静かに主役へと変わっていく。
おそらく僕が感じていた静けさは、「静かな場所」だったからではなく、
情報が整理され、視線が迷わなくなった瞬間に生まれていたからだと思う。
色がある世界は豊かで、感情を強く動かす。
けれど、色を手放したとき、景色は少しだけ呼吸を整える。
その余白の中で、ようやく見えてくるものがある。
あの朝の商店街は、モノクロで見ることで初めて、本来の静けさを語り始める場所だったのかもしれない。

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