写真を撮り歩いていると、嫌なことを忘れるくらいに集中できる。
個人で仕事をする場合、企業で働くのとは違ったストレスを抱えることがある。
常に新しいことを考えなければいけないため、心も体も疲れがたまりやすくなる。その疲れをそのまま放置していると、精神崩壊につながるケースも少なくはない。せっかく好きで始めた仕事なのに、目標達成する前に諦めてしまうことになりかねない。
そうならないために僕は、自然のある場所に行って自由に写真を撮り歩くことにしている。この行動のことを『リトリート』と言うが、人にとってその行動はとても大切なものだ。
リトリートには色々な方法があるが、僕の場合は、自宅からそれほど遠くない滋賀県の琵琶湖へ行って、水の音を聞いたり揺れる波を眺めて、その時に心が揺さぶられた瞬間を写真に撮るよにしている。
心にひびきやすい写真
心と体の休息をとりに行くときは、常に一眼レフを持って写真を撮り歩くようにしている。なぜかと言うと、僕自身が心にひびいた瞬間を写真に撮って、その気持ちを共有したいからだ。
体が疲れている時に写真を撮ると、ほんのり暗くて寂しい写真になるが、その『寂しさ』がストレス社会で生きる人らしさがあって、僕は好きだ。
明るくて綺麗な写真も魅力的だが、心が弱っている時の写真は『疲れ』がにじみ出ていて人らしくて「自分も今はこのような心境だ」と共感したくなる。
写真は写真家リョウらしい写真とは
写真家リョウらしい写真とは、ほんのり暗めでストーリー性を感じる心が揺さぶられる写真だと自分でアピールするようにしている。
そうやって自分発信することで、写真のイメージが明確になって、ブレのない世界観が作れるのである。
写真を始める前は、明るくて画質が綺麗な写真を意識していて、人物を撮る時も常に笑顔そ引き出して「写真家は明るくて綺麗な画質にするもの」だと思っていた。
だけどそれは僕の思い込みで、本当の写真家は、自分らしく表現し、そこに人らしさを感じる写真を撮る人である。
そう思い始めたのは、ニューヨークが生んだ伝説の写真家ソール・ライターの写真を見た時だった。
彼の写真にはストーリーがあり、日常の中に隠されたドラマをうまく表現されている。
そんな『写真家ソール・ライター』について、僕の印象を語った記事があるので、詳しくはそちらを読んでほしい。
それを見た僕は、人らしさを感じるストーリー性のある写真を撮ることを目的にした写真家を目指すことにした。
ストーリー性のある写真
ストーリー性のある写真、それが僕の目指している写真家のカタチ。
例えば、ほんのり暗いけが波の音が心にひびいてきそうな、下記のような写真。
この写真は、心と体のストレスを減らすために訪れた滋賀県の琵琶湖の畔で、朝7時頃に撮った写真。天候は曇りだが、僕からしてみればこのくらいの薄暗さの方が、写真家リョウらしい写真のなる。
次の2枚の写真は、さっきの写真と同じ日に撮った写真だが、時間が少し経った午前8時ごろに撮った写真。さっきまで分厚く太陽の光を遮っていた雲がなくなり、青い空が顔を出した瞬間の写真。
放置されている焼け焦げた流木が、昨日まで抱えていた僕の心の疲れを表していて、琵琶湖の湖がその疲れを洗い流してくれているように見えた。
この日の琵琶湖の波は穏やかで、優しく聞こえる波の音が僕の心のリズムを和らげてくれる。悲しく見えるはずの流木なのに、その時の自分の心の中を表現してくれているようにも見えた。
これも写真家をしている僕が届けたいストーリーである。
写真がアートになる瞬間
写真がアートになる瞬間は、写真にストーリーが生まれる瞬間ではないだろうか。
気分が落ちているときに見る写真は、ほんのり暗く憂鬱で人らしさがあり、楽しい時に見る写真には、今から良いことが起きそうな気分になれる。
風景写真からアートな写真に変わる瞬間というものは、その写真を見て心が動かされた瞬間ではないだろうか。
もちろん綺麗な写真を見ると「すごく綺麗」と感動することはできるが、それはインパクトのある写真で、アートな写真というものは『インパクト×心が動かされる写真』だと僕は考えている。
それを考えると、僕が目指す写真はインパクトのある綺麗な写真や明るい写真ではなく、心が惹きつけられるストーリー性のある写真と言うことになる。
そんな僕の写真を、ぜひ体感してほしい。
コメント