色があるから見えるもの、色がないから残るもの

カラーは、写真をきれいに見せるためのものではない。
モノクロは、おしゃれに見せるためだけのものでもない。

どちらも、見る人の心に「記憶」を残すためにある。

写真を始めた頃、

「カラーか?モノクロか?」

そんな問いを何度も自分に投げかけてきた。

色があったほうが伝わりやすい。
モノクロのほうが作品っぽい。

そんな言葉を、何度も耳にしてきた気がする。

だけど、撮り続けるうちに少しずつ違和感が生まれていった。

写真の魅力は本当に“色”で決まるのだろうか?」と。

色のある世界が見せてくれるもの

写真家リョウが撮影した雨の日の写真

カラー写真には、空気が流れている。

雨上がりのアスファルトの湿り具合。
夕方の光が建物に反射する、一瞬の物語。
ネオンの色が、夜の街を優しく包み込む。

色は、情景を説明しない。
色は、思い出の扉へと静かに誘導する。

「この雰囲気、どっかで出会った気がする」
「前に、ここへ来たことがある」

カラー写真を見たとき、
人はまず、“感じる”ことから始まるのだろう。

まるで映画の冒頭のシーンのように、
物語は静かに立ち上がり、
見る人をその世界へと連れていく。

色のある世界は、
記憶に触れるスピードが、とても速い。

瞬時に「記憶が現実」へと変わる。

色のない世界に残るもの

写真家リョウが撮影したモノクロ写真

一方で、モノクロ写真はどうだろう。

色がない分、
視線は自然と、光と影、形、表情へ向かう。

余計な情報が削ぎ落とされ、
写真は、見る人に問いを投げかけてくる。

「なぜ、この瞬間なのか」
「この人は、何を考えているのか」
「この沈黙の意味は何だろう」

モノクロは、感情を押し付けない。

その代わりに、考える時間を与えてくれる。

だからモノクロは、
時間が経っても、心の中で静かに存在するのかもしれない。

それは、“印象”ではなく、
ゆっくりと沈殿していく、“思想”に近い。

モノクロは、
心に余白を与えてくれる、そんな存在だ。

写真は、答えではなく予感

「カラーか?モノクロか?」

その問いに、正しい答えはない。

どちらも、写真を完成させるための選択ではなく、
物語を始めるための入口なのだから。

写真は、説明しない。
写真は、語りすぎない。

ただそこに在り、
見る人の記憶や経験と重なったとき、
はじめて物語が生まれるだろう。

だからこそ、
写真の価値は「どう撮ったか」よりも、
「何が残ったかにある」と、僕は思う。

色を越えた、その先へ

色のある世界は、感情を呼び起こす。
色のない世界は、思考を深める。

けれど最終的に残るのは、
カラーでもモノクロでもない。

その写真を見たあと、
しばらく心に残り続ける“何か”だ。

それは、思い出かもしれないし、言葉にならない感情かもしれない。
あるいは、まだ気づいていない予感かもしれない。

写真は、色で終わらない。
写真は、見る人の中で続いていく物語のようなもの。

その続きを想像してもらえたとき、
はじめてその一枚の写真は、
静かに完成するのではないだろうか。

静けさを感じる、もうひとつの世界へ。

静けさを感じる、
もうひとつの世界へ。

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