今回のコラムは、平日のにぎわいから離れて『週末の贅沢な時間』について綴ってみようと思う。
このコラムは、週末の朝に僕自身が体感した、過去の記憶から呼び起こしたシーンでもある。
土曜の朝。
目が覚めると、昨日まで降っていた雨の音が消えていた。
雨は上がっているはずなのに、どういうわけか、心の中には雨音が残っている。
そんな余韻に包まれた、静かな週末のはじまりだった。
平日のざわめきが遠くなったせいか、部屋の空気が柔らかくて心地よく感じる。
そんな“静けさ”にそっと身をゆだねる時間が、ほんの少しだけど贅沢に思えてくる。
そう思うのは、僕だけだろうか?
雨の音には、時間の流れをゆっくりにしてくれる力がある。
打ち寄せるようなリズムも。
窓を叩く強さも。
どこか、心の奥に触れてくるような気がしてならない。
だけど、それが止んだあとの“静けさ”には、もっと深く、もっと心の芯(COA)まで響く“何か”がある。
たとえば、洗濯機の回る音さえも心地良く思えるように。
そんな、“生活の輪郭”を取り戻すような静けさ。
そこに音がないわけじゃない。だけど、雨が止んだあとの静けさは、音そのものが輪郭を持ち始めるのである。
ドリップするコーヒーの音。
ゆっくりとページをめくる、紙の音。
カーテンが揺れる気配。
そんな揺れるカーテンから流れてくる、微かな香りも。
それらすべてが「自分は今ここにいる」と、優しく教えてくれる。
週末の朝に、急ぐ理由はひとつもない。
今、雨は止んでいるけれど、僕の中には、あの時の雨の静かな余韻がまだ残っている。
心の奥に降り積もったままの、雨の静けさ。
だから今日の朝は、いつもより少しだけゆっくりと過ごそうと思う。
雨が残した“静かな余韻”を贅沢に感じたい。
この「余韻」は、何か特別なことが起きたわけじゃなくても、静かに、確かに、心に残っていく。
何もしない週末の朝。でも、何かを取り戻しているような気がする。
シネマティック写真家リョウ
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