雨を待つ午後。モノクロとカラーのあいだに

雨を待つ週末の午後。光は柔らかく、空気には少し湿り気がある。

何も予定のない午後に、ただ窓の外を眺めている。そんな静かな時間にこそ、心の中の景色がいちばんよく見える。

雲がゆっくりと形を変えていく。それを部屋の窓から眺めていると、僕にはモノクロの世界に見えていた。

白と黒のあいだに漂う静けさ。


静けさをもつ、モノクロ写真を撮る3人の写真作家を紹介した記事はこちら。


その世界では、感情や記憶、そのすべてが削ぎ落とされて、ただ「心の音」だけが響いているように感じた。

モノクロの写真は、僕にとって心の奥にある世界の写し鏡だ。

光と影、そのわずかな境界の中に、言葉では届かない想いが確かに存在している。

だけど雨を待つ午後には、そんなモノクロの世界に少しずつ“色”が差し込んでくる

窓辺に射し込む光がほんのりと暖かくなり、遠くで風が葉を揺らす音を鳴らしている。

その小さな動きが、心の奥の静けさを少しずつ外の世界へと押し出してくれる。

雨が降る前の空は、不思議なものだ。

色を失いかけているようで、それでもどこかに淡いブルーや柔らかなグレーが溶けている。

そんな曖昧な時間が、僕は好きでたまらない。

モノクロの世界とカラーの世界が、一瞬だけ同じ呼吸をしているように感じるからだ。

写真を撮るとき、いつも僕は「この瞬間の静けさは、どんな色にすれば伝わるだろう」と悩む。

モノクロで表すべきか、
それともわずかな色を残すべきか。

その選択は、技術というより、心の記憶を辿るようにな感覚に近い。

静寂の中に沈み込んでいるときはモノクロで表現し、世界に向けて心を開くときはカラーで表現する。これが僕の伝え方だ。

雨が降り出す前の午後は、まるでその境界に立っているような感覚になる。

まだ降っていないのに、空の中には確かに雨の気配が満ちている。

まだ何も始まっていないのに、世界が静かに変わろうとしているあの瞬間。

その気配が好きだから、雨の日に写真を撮り歩いている。

シャッターを切る。

写った景色はモノクロでもカラーでもない。

光と空気が混ざり合った、モノクロとカラーのあいだの色。

それはきっと、僕自身の心の状態なのだと思う。

内側にある静けさが、現実の世界へと滲み出していく。そんな“雨を待つ午後”が、僕にとって一番美しくて贅沢な時間なのかもしれない。

そして雨が降り始めると、その言葉にできない色は一気に現実へと溶けはじめる。

街の灯り、濡れたアスファルト、窓を伝う水の線。そこに映る色たちは、どれもささやかで、どこか優しい。

心の中で見ていた静けさが、今は確かに“目の前にある”と感じる瞬間だった。

モノクロの世界で育てた静けさが、カラーの世界で息をする。

写真を撮るたびに、僕は“静けさ”という目に見えない感情を探しているのかもしれない。

その境界にこそ、僕が写真を撮る理由がある。

── 雨の雫。

静かな午後に、心の中の静けさを日常へと溶かすように。

そんな想いを、写真という形で残していきたい。

静けさを感じる、もうひとつの世界へ。

静けさを感じる、
もうひとつの世界へ。

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