日常のなかでふと立ち止まった瞬間、まるで映画のワンシーンのような情景に出会うことがある。
時間が少しゆっくり流れて、空気が静かに揺れるような感覚。僕はそうした瞬間を「シネマティック写真」として切り取っている写真家。
派手な演出も劇的なストーリーも必要ない。ただそこに「光」があるだけで、何気ない景色はたちまち深みを持つ。
今回は、僕が最も大切にしている要素である「光」について綴ってみようと思う。
光が語るストーリー
シネマティックな写真には「感情が宿っているものだ」とよく言われるが、その感情はモデルの表情でも、撮る側の演出でもなく、むしろ「光の質感」で決まることが多いのではないだろうか。
例えば、雨上がりの夕方。
濡れたアスファルトに街灯が反射し、信号の赤がぼんやりとにじんでいるだけで、その景色はどこか懐かしく、そして物語を秘めたように見えてくる。
このとき重要なのは、明るさではなく「陰影」である。
影の中に光が差すことで影がより深さを感じて、光と影の差が感情を生み出す。
静かな映画で、登場人物の頬にだけ光が当たっているシーンを思い出してみてほしい。
そこには説明のいらない“気配”を僕は感じる。
僕が光を使うのは、何かを明るくするためではなく、何かを“浮かび上がらせる”ため。
撮る側の感情を映す
シネマティック写真を撮るとき、僕は構図や色よりも「そのとき自分がどんな気持ちでシャッターを切るか」を大切にしている。
例えば、東京の静かな裏通りで一人の女性がうつむいて歩いている姿を見かけたとしよう。
その瞬間、僕は彼女を“モデル”として見るのではなく、“映画の主人公”として見ている。
彼女に直接話しかけることはないけれど、そこに立ち会った自分の感情が写真に影響する。
そのときの光が、優しかったのか寂しかったのか、それとも、何かを乗り越えたあとのような強さを感じたのか。
写真はレンズを通して光を写すだけではなく「今ここにある空気」と「自分の心の中にある世界」が交差する場所だと思う。
次回への静かな歩み
今回は「光」に焦点を当ててお届けしたが、シネマティック写真において、光はまるで“静かに話しかけてくれる声”のような存在。
構図や色彩、レンズ選び以上に感情の輪郭をつくる、重要な要素になるだろう。
次回はそんな光と並んで僕が大切にしている「構図」についてお届けしようと思う。
どうやって「映画のような一枚」を形づくるのか、僕なりの視点で紐解いていいくので、楽しみにしていてほしい。
『静かな余韻を楽しむ日常〜A Cinematic Way to Savor the Stillness〜』京都の写真家リョウ
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