ふとした瞬間、日常が映画のように見えるときがある。
ただ、それを写真として残そうとしたとき、何をどう切り取れば“映画のように見える”のかは、少し迷うところだろう。
その鍵となるのが「構図」である。
構図は、被写体をどう見せるかだけではなく「何を見せないか」も決めるもの。
まるで、詩が言葉を選ぶように、写真は画角(フレーム)を選ぶ。
日常の中にある“舞台”を探す
映画の世界では、ロケ地やセットが「物語の舞台」となるように、シネマティックな写真にも「舞台らしさ」が必要になる。
僕は、人が多く集まる街の裏通りや、誰もいない公園など、物語が生まれそうな場所を“無意識”に選んでいることが多い。
構図は、その舞台をどう見せるかの選択肢の一つで、広く見せるか、狭く切り取るか、余白を大きくとるか、ギリギリまで詰めるか。
そのバランスによって、感じ方が大きく違ってくる。
“感情の導線”としての構図
感情の流れの導線とは、視線の流れをつくる「構図」のことを言う。
画面の中で視線がどこから入り、どこに向かって流れていくのか。
それが自然であるほど、観る人は写真の中に“自分の感情”を重ねやすくなる。
シネマティック写真では、主役(被写体)だけではなく、その空間全体にピントを合わせて物語を作る。
だから、主役(被写体)を真ん中に置かないことも多い。
斜めに配置したり、あえて見切れさせたりすることで、感情に“余白”を残すような構図にしている。
構図は語りすぎない視点で
シネマティック写真は、“見せたいものを全てを見せない”と言う美学を感じる。
背景に何があるか、顔の表情がどうか、それを想像させることこそが、観る人に余韻を残す。
映画のワンシーンも、説明しすぎないカットに心を動かされることがあるはずだ。
「えっ!これで終わり?この先どうなるの?」
と思った映画を観たことがないだろうか。
シネマティック写真においての構図とは、“全てを語らず余韻を残す”ことだと思っている。
その余韻を楽しむことが、シネマティック写真の「構図」の本質だと言えるだろう。
次回への静かな歩み
構図が語る物語は、余白と選択の中にある。
これが「構図」というフレームの本質ではないだろうか。
そんな「光」と「構図」の次に僕が大切にしているのは何か。
それは「色」だ。
次回は、シネマティックな世界観をつくるうえで欠かせない「色彩のトーン」について綴ってみたい。
『静かな余韻を楽しむ日常 — A Cinematic Way to Savor the Stillness —』京都の写真家リョウ
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