光があるから影が浮かび上がる。
影があるから光が際立つ。
光と影の存在は、人々にどちらも必要だと教えてくれているような気がしてならない。
それは、“魅力的”という言葉だけでは語れない、古い時代から受け継がれている自然が創りだした現象。
モノクロ写真の本質は、この“光と影の存在をどう見ているか”ではないだろうか。
今回は、モノクロ写真の本質に触れてみようと思う。
色が消えるから見えてくるもの
モノクロ写真から、色は消えている。だけど、情報まで消えているわけじゃない。
むしろ逆で、色という要素がないぶん、光の向き、影の形、空気の重さがより正直に浮かび上がってくる。
カラー写真では、
「青がきれい」
「赤が印象的」
といった感情が、無意識に先に立つ。
それはそれで写真の魅力だけど、モノクロは少し違う。
モノクロ写真は、被写体そのものよりも、そこに当たっている光の質を見せてくる。
光を撮るのか、影を撮るのか
モノクロ写真を撮るとき「何を撮るか」よりも、光を主役にするのか影を主役にするのかを決めることが大切だと思っている。
強い光がある場所では、影は自然と濃くなる。逆に、柔らかい光の中では、影はそっと寄り添う存在になる。
どちらが正解、という話ではない。
ただ、
・この写真で残したいのは緊張感なのか
・それとも静けさなのか
その答えによって、光と影のバランスは自然と変わってくるだろう。
モノクロ写真は、撮る人の「世界の見方」が、そのまま写る写真だと思う。

色がないから感情が見えてくる
モノクロ写真を見て、
「懐かしい」
「静か」
「少し怖い」
と感じることがある。
それはきっと色がないからこそ、見る人が自分の記憶や感情を重ねているからではないだろうか。
カラーは“説明的”で、モノクロには“余白や余韻”がある。
その余白に、見る人それぞれの時間や感情が入り込む。
だから、モノクロ写真は派手さはないけど、心の芯まで響くし長く心に残るのだろう。
モノクロ写真は、世界を削ぎ落とした結果だ
モノクロにするという行為は、世界を足すことじゃなく、削ぎ落とすことだと僕は思っている。
色を削ぎ、
装飾を削ぎ、
残ったものは、光と影、そして形だけ。
そのシンプルさの中で、何を美しいと感じるか、何に心が動くのか。
モノクロ写真は、写真家自身の「美意識」の部分を静かに問いかけてくる。

最後に
もし、最近写真がうまく撮れないと感じているなら、一度、色を手放してみるといい。
モノクロの世界は、光と影の関係性を丁寧に教えてくれる。
そんな光と影を見つめているうちに、「静かな時間」を感じられるようになり、いつの間にか心に余白が生まれていた。
モノクロの静けさと雨の日の静けさは、どこかよく似ている気がする。
だから僕は雨の日でも、カメラを持って外を歩いているのかもしれない。
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