あえて雨の日に写真を撮り歩く意味ー祇園祭の午前、静けさと向き合う瞬間ー

朝起きて窓の外を見ると雨が降っていた。

その雨は、今の自分が始めようとしているコラボ企画への“迷い”※1を取り除いてくれるかのような世界だった。

※1、この『迷い』とは、「コラボ企画をどのように進めてどのように届けるのか」という迷い。つまり、アイデアを浮かばせるということ。

そこで僕は気分転換に、50mm単焦点レンズを手に取り自分が見た世界を記す『雨の中の京都への旅』に出かけることにした。

雨の日の京都には、不思議な静けさがある。

人の声や車の音すらも、雨粒が吸い込んでしまうのかと思うほど、街は柔らかい沈黙に包まれていた。

こういう日に撮る写真は、どこか自分自身と対話しているような感覚になる。

雨の日は心を整える「ひとり時間」

写真を撮ることは、風景をじっくり見ることであり、自分の内側を見つめる行動でもある。

そんな行動を世間では『リトリート』と呼ばれている。

いつもは歩き慣れた道でも、雨に濡れた景色を見ると、その静けさが心に染み込んでくる。

身近な場所でも、環境が変わると特別な世界に見えて、日常から少し距離をとることができる。

そうすることで、少し前まで感じていた迷いや焦りが、だんだん薄れていくような感覚になれる。

だから僕は、あえて雨の日にカメラを持って外へ出て気分転換をする。

屋内にとどまるよりも、濡れる覚悟で一歩踏み出した方が、心が軽くなれる。

透明傘越しに見る風景、
アスファルトに映る現実世界、
濡れた町家の木の香り。

無機質なビルの外壁でさえ、特別なものに見えてくる。

そんな五感が、ゆっくりと僕を日常から距離をおいてくれた。

なぜ50mmなのか。それは「見た世界」を届けたいから

この日、持ち出したのは50mmの単焦点レンズ。

ズームは利かない。だからこそ、構図に迷いがでない。

自分の足で距離を取り、自分の目でフレーミングする。

50mmは、僕にとって「見たまま」の距離だ。

ファインダー越しに切り取ったその瞬間が、そのまま誰かに届くような気がする。

機能ではなく、自分の感覚を信じてその世界を撮り、何か迷いがあるときに50mmレンズで撮れば、新しいアイデアが浮かんでくる。

不思議なものだ。

雨の日の京都を撮りながら、もう一人の自分が心の奥で呟く。

「これでいい。今のまま進んでいい」

それは、写真という形をかりて自分に返ってくる声のようだった。

雨の祇園祭に出会った時間

そんな中、偶然にも祇園祭の山鉾に出会った。

雨が降り続く中でも、粛々と行われる祭り。

足元を気にしながら歩く人々の姿には、晴れの日には見えない静かな気迫があった。

水を含んだ衣装、濡れた石畳を滑るように進む行列。

カメラを構える手が自然と止まり、僕はしばらくその風景をただ見つめていた。

「写すべき瞬間」は、いつも劇的なものではない。

音を吸い込むような雨の中で、歴史が静かに流れることだってある。

現代だからこそ、その歴史の味がわかるのかもしれない。

雨の日は「迷いを抱えたまま進む」ことを肯定してくれる

こうして1日、写真の撮り歩きを終えて、また新たな「雨の日の静けさ」を記すことができた。

どれも、自分が足を止めた瞬間であり、心が動いた証でもある。

コラボ企画に向けた準備は、着々と進んでいる。

それでも、この雨の日の記憶がある限り「迷い(アイデア出し)」はもう怖くない。

雨の日に撮るという選択は、決して効率的ではないかもしれない。でも、濡れながら歩いた時間は、静かに自分の芯(COA)を整えてくれる。

そう思える時間を過ごすことは、僕にとって、とても大切な時間である。


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