気づけば、“うつむく”だけの日常を過ごしていた。
うつむくと気持ちがどうしてもマイナス思考になってしまう。なぜなら、『やましい=顔を隠す』というイメージがあるからだ。
顔を見られたくない人は下を向いて、できる限り人に見られないようにしてしまう。
やましいことがなくても、下を向き続けていると顔を見られることが嫌になり、つい手元のスマホを見てしまう。
そこで少しの時間、空を見上げてみてほしい。
今まで気づかなかった素晴らしい世界が見えてくるはずだ。
今回は、写真作家として喧騒の街を撮り歩くことが多い僕が遭遇した、見上げた空の写真をお届けしようと思う。
色を取り除いた、いろいろなモノクロ見上げ写真だが、きっと心に余白をもつことができて、新しい視点で世界を見ることができるだろう。
喧騒の街で見た空

夏の夕暮れ前。大阪の街を撮り歩いていると、密集したビルの頭上には壮大に広がる空が見えた。
大阪で生まれ育った僕からしても、大阪の街はにぎやかで、人通りが多く喧騒のイメージが強い街。
そんなビルが密集した大阪の街でも、空を見上げると“余白”があり、その余白が心の中に考える隙間を生んでくれる。
もしかすると、喧騒な街と余白のある空があるから日常にメリハリがついて楽しく過ごせるのかもしれない。
人が造る物のすごさに触れる

東京で撮り歩きをした時のこと。関西生まれの僕の憧れの地である東京。
写真作家として東京展開をするための下見も兼ねて訪れた時、実際に東京スカイツリーを見上げて思ったことは『人の造る物のすごさ』だった。
計算された美しい形。おそらく、1mmの狂いもないだろう東京スカイツリー。
遠くから眺めていると、「自分の写真も“こだわる”ことで美しい写真を撮ることができる」と自信をもつことができる。
モノクロにすることでさらに浮かび上がる、スカイツリーの輪郭と光と影の魅力。
気の隙間から見える芸術的な空

京都在住ということもあり、水の町、滋賀県に写真を撮りにいくことも多い。
一般的には琵琶湖の写真を撮るものかもしれないが、琵琶湖の畔を歩いていて、何がなく空を見上げてみた。
すると、空のキャンパスに枯れ木の絵だがまるでアートペンで描かれたように見えた。
日常では爽やかな空が、一変して『静けさ』をテーマにした芸術作品のように見えた瞬間だった。
見上げたビルの直線美

喧騒の街にも静かに感じる風景がある。その一つが、真下から見上げるビルの美しいフォルムだ。
とくに晴れた空と真下から見上げるビルは魅力的で、柱や窓枠に一寸のずれがなく、まさに直線美。
その直線美を見ていると、不思議と『静かな時間』を感じるのは僕だけだろうか?
50mm単焦点レンズで撮ると、肉眼で見た直線の美しさを捉えることができるだろう。
僕は普段から、ビルや高層マンションを見るとつい見上げてしまう癖がある。
遠くからではなく、真下から見上げる姿がとくに美しい。
雨の日に見上げた世界

最後は、雨の降る日に写真を撮り歩いてて、何気なく透明傘越しに空を見上げたときの写真。
色のない傘に落ちる一滴一滴の雨の雫が傘の素材に当たり、優しく奏でる音が静かな時間を感じさせてくれた。
雨の日が好きになった理由は、水が流れる音や窓ガラスに当たる音がするのに、なぜか“静けさ”が感じられるところ。
雨の日に外を歩いていると、その雨音が街の騒音をかき消して、心が洗い流されたような感覚になる。
傘越しに見上げた風景は、その時の静かな時間を思い出させてくれた。
最後に、モノクロで静けさを感じる
最近の僕は、モノクロの世界にハマっている。
その理由は、色という情報を取り除くことで『静かな時間』を感じることができるからだ。

もちろん、カラー写真でも『静けさ』を表現することはできるが、モノクロ写真は『余韻と余白』がより鮮明に浮かび上がってくる。
今回の『見上げ写真シリーズ』は、モノクロにすることで心の中に余白が生まれて、ネガテイブからポジティブに変われるキッカケになってほしい想いを込めている。
デジタル社会になりスマホを見る時間が増えたことで、うつむくことが増えた今の時代。
肩こりの原因にもなるだろうし、正しい姿勢ができなくなっている。
もちろん僕もスマホを見る時間は多いが、定期的に見上げる写真を撮りにいくようにしている。
そうすることで心も楽になれるし、肩こりの解消にもつながる。
今後もこのような『モノクロ見上げ写真』をシリーズ化していこうと思う。
ぜひ、今回の見上げ写真を思い出して、日常をプラスに変えてほしい。
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