写真家として表現者であるために

「写真で何を表現するのか?」
「自分らしい世界観とは何か?」

そんな自問自答を繰り返しながら続けている写真活動だけど、時々『表現の迷路』にはまってしまうことがある。

いつも撮り慣れているはずの自分らしい世界が、なぜか他の人が撮ったように見えてしまう。

「この現象はいったい何?」

今でもそう言った現象に悩まされることがあるが、その悩みを解決するためには、とにかく行動するしかない。

撮りたいものを撮り、作りたいものを作る。無理に良いものを撮ろうとせず、とにかく目に入った印象的なものを撮る。

そうすることで、そのときの感情が写真に反映されて、心が揺さぶられる写真になる。

これまでの僕の撮影記録の一部を、当サイトでも公開しているが、その写真は『写真家リョウらしい表現』だと言えるだろう。

表現者であるために

そもそも表現者とは、自分の心の中にある感情をあるものを通して世の中に主張する人だと僕は思っていて、不特定多数に向けて発信するものではなく、自分に共感してくれる人だけに向けた想いのようなもの。

それが仕事に繋がるかは別として、今の世の中にかけているのは『独自性』ではないだろうか。

「あの人のやっていることが収益につながっているから自分も真似をしよう」といったものは『独自性』ではなく、ただの真似ごとで、競争率の激しい世界にわざわざ飛び込んで埋もれにいくようなもの。

もちろん最初は『人の真似をする』ことは大事なこと。

『TTP(徹底的にパクる)』という言葉があるように、成功した人の秘術を真似ることは成功への近道になる。

だけど、いつまでも真似ごとばかりでは独自性のある正解は作れないし、新しい冒険はできない。

成功者の真似をした上で、独自性のあるものを作り上げれば、誰にも真似ができない唯一無二の存在になれるだろう。

表現者であるためには、唯一無二となる独自性のある自分の世界にユーザーを巻き込んでいくことだと僕は思う。

表現者になるべき人とは

では、表現者になるべき人とはどのような人なのか。

あくまでも僕のイメージだけど、写真家、芸術家、音楽家、モデル、ライター、デザイナー、俳優ではないだろうか。

上記に挙げたジャンルで世界で活動をしている人を見ていると、独自性があり自身の世界観に人を巻き込んでいるという共通点があることがわかった。

僕が撮る写真は、ほんのり暗くて笑顔の写真が少なくネガティブな感情をもたれやすい写真が多いが、それが人らしく心を揺さぶるシネマティックな写真になると思っている。

だけど僕は、そんなネガティブな感情が人らしさを感じやすいと思っていて、それが見る人の感情を揺れ動かすものだと感じている。

だから僕は自分の写真を、映画のワンシーンのようなシネマティック写真と呼ぶことにしている。

写真家リョウが目指す未来の写真家像

僕が目指している写真の世界は「ほんのり暗めで映画のワンシーンのようなシネマティック写真といえば京都の写真家リョウ」と認知されて、僕にしか撮ることができない写真の価値を感じてもらうこと。

その目標までの道のりは長いが、本格的に写真家の活動を始めて、少しずつ目標を達成することができていて、自慢するつもりはないけど、この写真家公式サイトもどんどん成長している。

そんな僕の目指す『写真家のカタチ』について、新たに下記の記事でまとめてみたので、ぜひ呼んでほしい。

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