その日は朝からシトシトと雨が降っていた。
雨の日に街を歩くと、普段とは違う静けさに包まれ、傘をさす人々が急ぎ足でどこかへ向かっていく。僕は、そんな雨の日の独特な空気感が好きだ。
とくに一眼レフを持って雨の日に散歩をすると、雨はただの障害ではなく、まるで、“異世界への扉”のように思えてくる。
そう感じて家を出ると、さっそく、“雨の雫が傘の表面を滑り落ちて心地よいリズム”を刻む。それが僕の心の疲れを軽減させた。
普段はにぎやかで、倍速のように感じる街の交差点も、その日はゆったりとスローな時間が流れて静かだった。濡れたアスファルトに反射する車のライトが、虹色に輝いているのが目に留まり、僕はその瞬間を逃さないよう、すかさず一眼レフを構える。
その世界をファインダー越しに見ると、普段見慣れた街の風景が一変して、ぼんやりと広がる光、雨に濡れたアスファルトが、まるで映画のワンシーンのように幻想的だった。
この光景に出会えるのは、一眼レフをのファインダーを覗いたことがある人にしかわからないかもしれないが、その、“シネマティックな光景に出会える”から、僕は雨の日でも写真を撮り歩くのである。
さらに雨の日の魅力を伝えるとするなら、雨が降ると晴れの日には感じる事ができない、“柔らかな光と水彩画で描いたような淡い色合いに染まる街の景色”である。
ほんのり暗いのに、どことなく感じる優しい光が僕の心を不思議と落ち着かせてくれる。どうやら雨には、“心をリフレッシュさせる効果”もあるようだ。
さらに雨の中を歩いていると、ビルの窓に映り込む水滴が美しい模様を作っているのに気づく。
カフェの窓際の席に座っている人の姿が、揺れる水滴越しにぼんやりと見える。その何気ない瞬間にもドラマがあり、普段は気づかない人々の表情や仕草が鮮明に映し出される。
その風景は、僕が憧れているニューヨークの写真家ソール・ライターの写真作品のようだった。
雨の日になると変化するのは景色だけじゃない。音も普段とは違った揺らぎを奏でていて、周りの人が歩く靴音も優しく、傘をさしながら歩く人の小さな歩幅がダイナミックな靴の音を消して静かで穏やかなリズムを奏でている。
僕は何気に道端に立ち止まって耳を澄ませた。
すると、遠くから聞こえる車のエンジン音や、傘に当たる雨粒の音、まるで自然が作り出す癒し音楽のようだった。僕はその音に耳を傾けながら、次に訪れるシャッターチャンスを待つ。
雨の日の魅力は「予測できない」という点だ。どこでどんな光景が現れて、何が起こるのか、全てが偶然の連続だ。
たとえば、傘を差しながら微笑むカップルや、水たまりに映って揺らぐ空。道端に咲く小さな花に、落ちた雨の雫で一段と魅力を上げる。そんな何気ない風景が、雨の日には特別なものになる。
その日は、歩き続けているうちに、雨はだんだんと止み始めた。空は明るくなり、雲の切れ間から光が差し込むと、街全体が一層輝きを増した。僕はその瞬間をシャッターに収めた。
雨の中で撮影することで得られる新たな視点と、想像を超える美しさに、改めて雨の日の魅力を感じ、そして家に戻り、撮った写真を見返しながら笑みがこぼれる。
雨の日だからこそ見られる景色、感じられる空気、そして捉えられる瞬間があると改めて実感し、まるで宝物を見つけた子供のような気分になった。
次の雨の日が待ち遠しい。
また雨が降ったら、お気に入りの一眼レフと50mmレンズを持って、新しい物語を見つけに行こうと思う。
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